GACKTは年齢をサバ読み?本名は大城?岡部?

【GACKTの年齢はいくつ?サバ読みしている?】

独特のメイクにサングラス。
どこかミステリアスな雰囲気があるGACKTさん。

実際、2009年まで本名や年齢が公開されていなかったこともあって、しばしばネット上で話題になりますよね。
ある舞台で「来年37歳になります」と発言し、生年月日も明らかにしたことがあります。

公表された生年月日は1973年7月4日

情報が正しければ、年齢が公表された当時37歳ということになりますが、その時、ネット上では…

「サバ読み過ぎ。絶対に40は超えている!」

という声と、

「普通、若く見られたいから年齢を隠すけど、Gacktの場合は逆になるから、本当に37歳なんじゃないか?」

という声が飛び交っていました。

ただ、ご覧のように( ↑ たしかにGACKT)現在、高校時代の卒アルもネット上に出ているし、学歴も滋賀県栗東市立栗東西中学校→滋賀県立守山高校→京都学園大学中退というところまで分っています。

そこまで分っていて、「サバ読み」派から「本当の生年月日は○○だ!」という声が上がらないのだから、あながち嘘でもないのではないでしょうか。

それより私が気になるのは、この肉体美。
もしサバを読んでいるなら、尚更すごいです。

それと高校と大学のギャップも気になります。

滋賀県立守山高校の偏差値は69。
偏差値69って、超アタマいいですよね。

これに対して、京都学園大学の偏差値は「40」。
ちょっと高校と大学の偏差値違いすぎません?

まぁ、アーチストを目指している人には学歴なんて無関係かもしれませんが、それにしても…って感じ。

何か事情があったのかもしれませんが。

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【GACKTの本名は大城学?大城ガクト?岡部学?】

GACKTさんは二つ芸名を持っています。

一つは、「GACKT」。
以前は「Gackt」と書きました。

もうひとつは「神威 楽斗(かむい がくと、Gackt Camui)」
GACKTさんのクレジットカードは「神威楽斗」という名前になっているという噂もあります。

で、肝心の本名ですが、GACKTさん自身がブログで公開しています。

公開された本名は、『大城 ガクト』

これまでもいくつかの事業に関わったことがあるGACKTさんですが、「SPINDLE(スピンドル)」なる仮想通貨の事業には特別思い入れが深いようで、スピンドルの事業を進めるにあたって決意したそうです。

GACKTさんのブログにはこうあります。

今まではどんな事業にも名前を出すことなく、この14年間ずっと影に隠れ目立たないようにやってきた。
去年あたりから、実業家として多少露出するようにはなったがそれでもやはり目立たないようにしようと心がけていた。
結局、表に名前を出してしまえばそれに対してどうでもいいことを言う輩もいる。
別にどんな事業をするにしても隠れていれば叩かれることもなかったわけだ。

だが、今回は表に出ることを良しとした。
初めてこんな風に本名で出ることとなる。

ただ、「ガクト」が本当に本名でしょうか?

これまで噂されてきた本名は「大城学(おおしろ さとる)」
『学』と書いて『サトル』と読ませていました。

珍しい読み方ですが、名前ですから考えられなくはありません。
そして、『学』から芸名のGACKTをつけたというのも自然な感じです。

また、「学」を「さとる」ではなく「がく」と読むように、『改名』したという噂もあります。
改名をするのは面倒ですが、読み方を変えるだけの場合は比較的簡単らしいです。

だとしても、ブログに書かれている「ガクト」にはならないわけで、なんだかよくわからない状態になってきました。

実はもう一つ、本名と言われている名前があります。
『岡部 学(おかべ さとる)』です。

これは、GACKTさんのご両親が離婚する前の本名で、ご両親の離婚を期に母方の苗字「大城」を名乗るようになったからだそうです。

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【GACKTは韓国人説の根拠は?】

GACKTさんは韓国人だという噂がまことしやかにささやかれていますね。
twitterで『”学徒動員”を思わせる”ガクト”なんて名前をつけるのは、日本人の感覚ではない』とささやかれたのがきっかけらしいです。

ですが、『学徒』はそもそも、「学問を研究している人。学者。学生と生徒。青少年。」という意味で、”学徒動員”だけで使われる言葉ではありません。

また、GACKTさんはもともと沖縄出身で、お父さんが自衛隊の音楽隊でトランペット奏者をしていたそうです。
自衛隊に所属していたということは、国家公務員ですから日本国籍が必要です。

韓国人説は、どうも根拠がない噂のようにも思えます。

私的にはどっちでもいいのですが、人の出自を探って憶測でどうこう言うこと自体、いかがなものでしょう。
GACKTさんのことが好き、嫌い以前の問題かと…。


片山さつきの夫は誰?舛添要一との離婚原因は?

2018年10月2日、第4次安倍改造内閣で内閣府特命担当大臣と女性活躍担当大臣の2つのポストに就いた片山さつきさん。

元夫が、元東京都知事の舛添要一さんだったことは有名ですね。

現在は、別の方と結婚されていますが、舛添さんとの離婚原因はなんだったのでしょう?
そして、現在の夫はどんな方なんでしょう?
その辺のところをご紹介します。

【片山さつきと元夫、舛添要一エリート同士の結婚】

片山さつきさんは、1959年、埼玉県浦和市(現:さいたま市浦和区)で生まれました。
通っていた市立高砂小学校では、”同校始まって以来の天才少女”と呼ばれました。

その後、東京教育大学附属中学校・高等学校(現:筑波大附属中学・高等学校)に進みますが、成績は常にトップ。
代ゼミの全国模試でも全国1位を4回も取っています。

半端なく、優秀な学生だったんですね。

東京大学法学部に進み、卒業した1982年の4月に大蔵省に入省。
主税局に配属。

1984年にはフランス国立行政学院に留学し、その後、広島国税局海田税務署長、主計局主査、横浜税関総務部長、関税局調査課関税企画官、主計局主計企画官の重要ポストを歴任しました。

超エリート中の超エリートですね。

そんな片山さつきさんが、元夫、舛添要一さんと結婚したのは1986年。
片山さん27歳、舛添さん38歳のときです。

当時、舛添要一さんは東大の国際政治学者で、舌鋒鋭い論客としてTVの討論番組に出演しまくっていました。

一方、片山さんもそのヘアスタイルから、「大蔵省の松田聖子」と呼ばれていて、二人の結婚は大きな話題となりました。

しかし、このとき舛添要一さんはすでにバツイチ状態だったんです。
1978年、ヨーロッパ留学中に出会ったフランス人女性と結婚しましたが、日本に帰国した後、離婚しています。

片山さつきさんと舛添要一さんを引き合わせたのは大蔵省OBで元労働相の近藤鉄雄議員(自民党)。

二人は、恋愛結婚ではなくお見合い結婚でした。
当時、片山さんは30歳手前になると見合い話しがあるのは普通だ考えており、片山さんだけでなく役所全体もそんな雰囲気でした。

ところで、片山さんは舛添さんの前にも見合いをしていましたが、結婚をしても仕事を続けることを希望していたために上手く進みませんでした。
そんななか、同期や教え子に官僚がたくさんいる舛添さんは、官僚の生活をよく知っており、帰宅が遅くなることに理解を示してくれていたそうです。

片山さんは、そんな舛添さんのことを自分の願いを理解してくれる人だと思い、結婚を決意したようです。

ここまでは、エリート夫婦の馴れ初めとしては、型通りのストーリー。

ところが、結婚して3カ月後、片山さんは早くも弁護士に離婚の相談始めたんです。
一体何があったんでしょうか?

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【片山さつきと舛添要一との離婚原因は?今の夫は誰?】

結婚してから約3年で離婚。
しかし、実質的な夫婦生活は半年ほどだったようです。

離婚原因はかなりエゲツナイものでした。

予兆は結婚前からありました。

舛添さんは片山さんにひとことの相談もなく、新聞記者に働きかけ一面でふたりの結婚を報道させます。
片山さんにしてみれば、まだ関係者へあいさつする前のタイミング。
役所ですからいろいろしきたりもあるのでしょう。
片山さんは困惑してしまいます。

結婚前からぎくしゃくしていた関係が、結婚するとすぐにおかしくなります。

結婚前は、片山さんの仕事継続に理解を示していた舛添さんですが、すぐに態度が一変します。
片山さんが、夜遅く帰ると怒鳴りつけ、物を投げつけたり、エスカレートするとサバイバルナイフをちらつかせたりすることもあったそうです。

もし事実なら、もうこれは立派なDVですね。

当時都内に住んでいた片山さんは、身を守るためにタクシーで深夜、浦和(現・さいたま市)の実家に避難することもあったとか。
結婚3ヶ月後には、弁護士に離婚の相談をするようになります。

そのときに分ったことですが、舛添さんには愛人がいて、しかも相手は舛添さんの子どもを妊娠中だったとか。

世間体を考えてか、離婚したのは結婚から2年3ヶ月後の1989年のことです。
相当つらい思いをしたようですね。

そして、離婚の1年後、片山さんは1990年に現在の夫である片山龍太郎さんと再婚をしています。
龍太郎さんは、ゴルフ業界の老舗、マルマン(現:マジェスティ ゴルフ)創業者の御曹司です。

今度こそ幸せになってほしいですね。

ただ、エリート同士、お金持ち同士の組み合わせばかりというのも「なんかなぁ~」と少し思ってしまうのは私だけ…?

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【片山さつきプロフィール】

  • 生年月日:1959年5月9日
  • 出身地:埼玉県浦和市(現さいたま市)
  • 出身大学:東京大学法学部
  • 現職:参議院議員、内閣府特命担当大臣(2018年10月現在)
  • 政党:自由民主党

2005年8月:財務省を退官。
同年9月:衆議院総選挙に所謂「小泉チルドレン」として静岡7区から自民党公認で出馬、初当選。
2009年:衆議院総選挙に自民党公認で静岡7区から出馬したものの落選。
2010年、参議院通常選挙に自民党公認で比例区から出馬し、党内トップで当選。
2016年:参議院通常選挙に自民党公認で比例区から出馬し、党内3位で再選。
2018年10月2日、第4次安倍改造内閣で内閣府特命担当大臣(地方創生、規制改革、男女共同参画)及び女性活躍担当大臣に就任。


GACKT、仮想通貨問題で逮捕直前!?

【仮想通貨GACKTコインとは?】

「GACKTコイン」と呼ばれる仮想通貨をご存じでしょうか?

「ブラックスター」という会社が運営する仮想通貨「SPINDLE(スピンドル)」の通称です。
GACKTさんが「SPINDLE(スピンドル)」の宣伝活動を精力的に行っていることから、「GACKTコイン」と呼ばれるようになりました。

「ブラックスター」の平井政光CEOは、GACKTさんとの関係について次のように語っています。

(GACKT氏は)スピンドルのプロジェクトメンバーの一員。
エンターテインメントを通じて、お客さんと直接、接してニーズを掴んでいます。
プロジェクトマネージャーとして優れています」

GACKT氏がいることで注目され、関心を持ってもらい、スピンドルを知ってもらうことができたのはいいこと。
ただ、注目度が高い分、過剰な期待をかけられ、それが批判につながることもありました」

GACKTさんが仮想通貨や金融についてどれだけ精通していたかは知りませんが、単なる広告塔ではなく、立ち上げから「営業」に関わった主要メンバーの一員のようです。

実際、GACKTさん自身のブログでも、2017年の8月から関わっていると明かし、仮想通貨を『貨幣の民主化』、『馬車からクルマに変わった時代以上の世界的な変革』と熱く語っています。

知人の芸能関係者にも呼びかけていたらしく、約220億円の出資金を集めることに成功しました。

上場前のレートは1スピンドルが30円弱。
これが上場により、ぐっと上がれば出資者はぼろ儲けです。

ところが、2018年5月19日に5か所の海外取引所で上場したスピンドルは、1スピンドル=3円弱と、なんと10分の1の価格に暴落。

その後も下がり続けて、1スピンドル=0.3円と当初の100分の1.

出資者は、ぼろ儲けどころか大損もいいところに。

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【GACKTは仮想通貨でいくら儲けたのか?】

暴落に関して、「ギャラをスピンドルでもらっているから、俺も大損した被害者だ」と言っているそうですが、事情通は「GACKTは“胴元”の一味だから、損するはずがない」と語っています。
一部では、上場直後に数千万円分のスピンドルをうまく売り抜けたという噂も流れています。

これは、『草コイン』(無名の仮想通貨のこと)を使った資金調達でよく見られる手口と全く同じ。
『上場後に○○倍になる』とか『有名人の○○さんも出資している』などの謳い文句で出資者からお金を集め、上場直後に胴元側だけが売り抜いて大儲けするシナリオです。

GACKTさんの誘いに乗って投資した、多くの芸能関係者から怒りの声が上がるのは必至と言われています。

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【GACKTは仮想通貨で逮捕も?】

スピンドルの運営会社「ブラックスター」は、2018年1月、金融庁から資金決済法違反の疑い(無登録営業の疑い)で通告された“経歴”があります。

あるITジャーナリストによると、

「無名の仮想通貨では詐欺まがいの手口が横行しており、金融庁は取り締まりのルールづくりを急ピッチで進めています。
今後、被害者が集団訴訟するケースも出てくると思います。」

と語っています。

警察関係者も「現在、警視庁のサイバー犯罪対策課がスピンドルの件を調べている。GACKTも捜査対象だ。」と言っているとか。
サイバー犯罪対策課といえば、2018年1月、コインチェック社の仮想通貨「NEM」流出を調査したエキスパート集団。
GACKTさんら”胴元側”の履歴を念入りに調べているとのことです。

ところで、この一件については、政治家の野田聖子元総務相も絡んでいるんです。

上記の金融庁の通告後、野田氏の秘書が「ブラックスター」社関係者を伴い、金融庁に説明を求めたことがあります。
この野田氏の夫、文信氏は「ブラックスター」とつながりを持っており、夫に頼まれた野田氏が金融庁に“圧力”をかけたとなれば大問題。

実際、野党はこのことを厳しく追及しましたし、これまで日本初の女性総理大臣を目指してきた野田氏ですが、秋の自民党総裁選には出馬せず、安部新内閣人事でも入閣することはありませんでしたね。

話をGACKTさんに戻しますが、GACKTさんと言えば、お正月の人気番組「芸能人格付けチェック」(テレビ朝日系)で連続正解をつづけ、番組には欠かせない存在。

これまでも女性スキャンダルなど色々とうわさが絶えませんでしたが、今回の一件はそれとはレベルが違います。
「今回の落としどころが見えるまでは、各局、GACKTの起用は慎重にならざるを得ないだろう」(テレビ関係者)という声もあります。

「芸能人格付けチェック」にGACKTさんが出演するのか、もし出演しないときは、司会の伊東さんと浜田さんはどのようなコメントをするのか。

来年は別の楽しみ方ができるかも・・・。


GACKTの【格付け】連勝をはばんだジャニーズの二人

【GACKTが出演する「芸能人格付けチェック」とは?】

GACKTが出演する「芸能人格付けチェック」は、テレビ朝日系列で毎年正月に放送さる特別番組です。

もともとは、番組『人気者でいこう!』で1999年の3月にスタートした「芸能人格付けチェック 〜お前たちは果たして何流芸能人なのか!?〜」という一つのコーナーで、初期は週替わり企画の1つだったんですよ。
その年の8月からレギュラー化し、当時は浜田雅功さん・内藤剛志さん・堀部圭亮さんが担当していました。

内容は、とてもシンプル。
出演者が「高級品」と「安物」を見分ける問題にチャレンジ。
スタートは全員『一流芸能人』としてあつかわれるが、不正解するとランクが下がってしまいます。

芸能界の大御所ぶっているベテランが不正解を連発して、最下位までランクが下がったりになったり、逆に若手アイドルが「一流芸能人」になるなど、予想外の展開が面白いと人気になり、2000年9月まで同番組のメイン企画でした。

2006年に正月の特別番組として復活しました。
このときから司会を伊東四朗さんと浜田雅功さんが担当しています。

特に2009年の放送は18.9%の視聴率を記録。
GACKTさんが初めて番組に出演したのがこのときです。

以来、高視聴率を維持し2018年はそれをさらに上回る19.6%をたたき出しました。

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【GACKTの格付け連勝を阻んだのはジャニーズのあのふたり?】

2009年の初出場以来、連勝を続け只一人『一流芸能人」であり続けたGACKTさん。
第13弾に当たる2016年のお正月も、前年までの36連勝をどこまで更新するのか注目さていました。

その年のチームメイトは、ジャニーズ事務所所属のKis-My-Ft2の北山宏光さんと同事務所所属の中山優馬さん。


北山宏光さん


中山優馬さん

番組冒頭、浜田雅功さんが「お前らが連続記録をはばめ!」と叫び、
GACKTさんは「間違えたら、ぶっ飛ばしますよ」とプレッシャーをかける展開に。

GACKTチームは、第1問から順調に正解。
GACKTさんの40連勝がかかる第4問に進みます。

問題は、日本を代表するプロのオーケストラ「東京吹奏楽団」と、アマチュアの玉川大学吹奏楽団の演奏の聞き分けるもの。(上記の写真はイメージです。)

このとき、チーム代表は北山宏光さんと中山優馬さんでGACKTさんには回答権がありません。

そんな時に限って、ジャニーズの二人は互いの意見が分かれてしまいます。

キスマイの北山宏光さんはA、後輩の中山優馬さんはBを選択。

結局、北山宏光さんは、中山優馬さんが熱く語るのでその熱意を信じ、Bに変更しました。

ところがこれが裏目に出て、正解はA!
この時点でGACKTさんの連勝記録は39でストップしました。

この時のGACKTさん、動揺を隠しきれず、

「ヤバい、涙出てきた」
「心弱い、ボク……」
「40だよ?」
「辛いななんか。いやー、辛っ」

と自信にあふれたいつものGACKTさんとは別人のよう。

真っ青になって北山さんと中山さんが戻ってくると、「ぶっ飛ばす」どころか「怒ってるんじゃないんだよ、悲しいんだよ」とひとこと。

それでも、「メンタルリセット」をしたGACKTさんは、それ以降の問題をパーフェクトで正解。
GACKTチームは「一流芸能人」の一つ下である「普通芸能人」に留まることができました。

「さすがGACKTさん!」の一言です。

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【GACKTの格付けチームの相方はだれ?】

この時、ツイッターでは、北山宏光と中山優馬に非難が集中。

これに対し、北山・中山ファンが反論をすれば、更に二人をたたくツイートが飛び交うなど、大炎上。

その日、ツイッターなどで飛び交ったキーワードを集計している「Yahoo!」の「話題なう」ランキングは…

  • 1位:番組中のGACKTさんの言葉「メンタルリセット」
  • 2位:「GACKT」
  • 3位:「格付け」

でした。

その連勝のプレッシャーや、ツイッター騒動のこともあってか、以後、相方のなり手がなかなか見つからないのだとか…。

これまでのGACKTさんの相方は…

  • 2009年:吉田秀彦
  • 2010年:つんく♂
  • 2012年:紀里谷和明
  • 2013年:魔裟斗
  • 2014年:西川貴教(TM revolution)
  • 2015年:鬼龍院翔(ゴールデンボンバー)
  • 2016年:北山宏光(キスマイ)・中山優馬(ジャニーズ事務所)
  • 2017年:堀江貴文
  • 2018年:YOSHIKI

GACKTさんは、個人としてはこれまですべての質問に正解。
現在55連勝中です。

どこまで記録を伸ばすのでしょうね。
来年のお正月も楽しみです。


羽生結弦の家族がテレビに出ないわけ

羽生結弦選手は、ソチ・平昌オリンピック2連覇という偉業を成し遂げたすごさはもちろん、けがを克服して大舞台で活躍できる強い精神力やインタビューでのしっかりした受け答えでも定評がありますよね。

そこで誰もが気になるのがご家族はどんな風にして羽生結弦選手を育てたのかということ。
あれだけ有名になれば、ご家族もテレビに出てもよいと思うんですが、メディアの露出がほとんどありません。

一体どんなご家族なんでしょうか?
そして、なぜご家族はテレビに出演されないのでしょうか?

その辺のところをまとめてみました。

【羽生結弦の家族:①母の由美さん】

羽生結弦選手はご両親と4歳年上の姉の4人家族です。

その中で比較的テレビで馴染みがあるのが母親の由美さん。
年齢は公表されていませんが、羽生結弦選手やお姉さんの年齢からすると50~60歳くらいではないでしょうか。

羽生結弦選手の家族はもともと宮城県仙台市出身。
喘息持ちだった羽生結弦選手がスケートを始めたのは4歳の頃。
姉のスケート教室について行ったのがきっかけでした。
お母さんの由美さんは、ホコリを吸い込むことが少ないスケートが羽生選手の喘息を治すのに良いと考えたからだそうです。

しかし、フィギュアスケートはお金がかかるスポーツ。
そのため、羽生結弦選手が子どもの頃、由美さんは近くのダイエーの紳士服売り場やクリーニング店でパートも掛け持ちしていました。

2012年まで羽生結弦選手の衣装を手作りしていたこともよく知られていますね。
あのスパンコールもお母さんの手によるものらしいですよ。
主婦業に、パートに、衣装作りに、とてもお忙しかったでしょうね。

今は、2012年からカナダのトロントで羽生結弦選手と一緒に暮らし、栄養管理など健康面のサポートをしています。
何でも、栄養学も勉強し、カナダの肉中心の料理が合わなかった羽生選手の食事や栄養の管理をしているそうです。

また、移住したばかりの頃、英語が喋れなかった羽生選手に対して、
『スケートだけを学ぶのではなく、ここで生活をしていくつもりで頑張りなさい』
と言ったとか。

とてもしっかりした方のようです。

「しっかりした」と言えば、一時期、お母さんが羽生結弦選手に「恋愛禁止令を出した」とか、20歳になるまで携帯やスマホも持たせなかったというエピソードもあります。

なんか、「星一徹」みたいな話ですが、そんなお母さんに対して羽生結弦選手はたびたび次のようなコメントをしています。

『いつもそばで、スケートに集中できる環境を整えてくれる心強い存在』
『いちばん多く一緒にいて、何でも言える存在』
『母には思ったことを素直に言える』

そこから、羽生選手はマザコンか?という噂がありますが、いまでこそ、世界的に注目を集めるアスリートですが、幼いころから身体的・精神的なサポートをしてくれるお母さんに率直に感謝を表しているだけで、「孝行息子」だという見方もできます。

平昌オリンピックで金メダルを獲ったとき、羽生結弦選手が一番最初にメダルをかけたのはお母さんだったそうです。

それだけ深く感謝しているんでしょうね。

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【羽生結弦の家族:②父の羽生秀利さん】

羽生結弦選手のお父さんは秀利(ひでとし)さんといいます。

宮城県の中学校で数学の教師を務めた後、2014年に2014年に宮城県石巻市立湊中学校と利府町立しらかし台中学校で教頭先生になりました。
現在は、塩竈市立第三中学校の校長先生をなさっているそうです。

ですから、収入は大学卒の一般的なサラリーマンよりは多少良い程度で、特別裕福な家庭で育ったということではなさそうです。

お母さんも積極的にメディアに出る方ではありませんが、お父さんもお母さん以上に控え目な方でほとんどテレビには出ません。

お父さんもスケートをなさっていたのかと思いきや、実は大の野球好き。
「広島カープ」ファンで、野球部の顧問もなさっていたこともあるとか。
その影響でしょうか、羽生結弦選手も野球は好きで、やはり、カープファンらしいですね。

かつて、羽生結弦選手が小学生の頃、スケートの練習がつらくて嫌になっていたとき、
「スケートが嫌なら辞めてもいいんだぞ」といったそうです。
また、「もっとスケートの練習しろ」などとは一切言わず、逆に「頑張っているな」と暖かく見守るスタンスをだったようで、毎日の練習場への送り迎えはお父さんの担当だったんだとか。

オリンピック前になると、羽生結弦選手は現地時間に合わせるために昼夜逆転の生活を送っていたそうですが、そんな時でもお父さんが送り迎えをしていたようです。

意識していたのかいないのかはわかりませんが、お父さんとお母さんがいい具合に役割分担していた感じです。

お父さんは、スケートに関しては口出しをしなかったものの、教師をしていたこともあってか教育に関してはしっかりしたお考えがあり、
常々、「フィギュアだけでなく、勉強もしなければダメだ」「一流の選手である前に、一流の社会人になってほしい」と言っていたそうです。

実際、羽生結弦選手はあれだけの練習をしながら、学校の成績も良かったといいます。

2014年の『24時間テレビ』で、羽生結弦選手がお父さんが勤めていた石巻市の湊中学校に電撃訪問をしたことがあります。
湊中学校は、東北大地震の時、津波に襲われ4人の生徒さんが亡くなりました。

また、ソチオリンピックの時には、羽生結弦選手に寄せ書きを送ったりもしていました。

羽生結弦選手の突然の来校に、生徒たちはびっくり。
喜びと興奮ではしゃぐ生徒たちに羽生結弦選手は丁寧に応対し、震災で心が傷ついた生徒たちを励ましました。

しかし、この時もお父さんがテレビに映ることはありませんでした。
お母さんがどこかのインタビューで、「頑張っているのは結弦であって親ではない」という趣旨の発言をされていましたが、ご夫婦でそのスタンスを貫いているようです。

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【羽生結弦の家族:②姉の羽生さやさん】

羽生結弦選手には、4つ上のお姉さんがいます。
1990年生まれのさやさんです。

フィギュアスケートを始めたのはさやさんの方が先で8歳の時。
羽生結弦選手は、お姉さんの練習についていったのがきっかけで4歳でスケートを始めました。

さやさんが18歳のとき、スケートでご両親にかかる金銭的負担を配慮して、スケートをあきらめました。
「ゆづがスケートを辞めるくらいなら、私が辞める」と言って身を引いたといいます。

10年続けてきたスケートを辞めるのはつらかったでしょう。
弟思いの優しいお姉さんですね。

現在は、羽生姉弟がスケートの練習をした「アイスリンク仙台」の職員として働いているそうです。

こうやって見てくると、家族みんなで羽生結弦選手えおサポートしてきたことが分ります。
それと同時に、単にサポートとしてきただけでなく家族のお一人お一人が自立して、しっかりとした考えのもと生きてこられたんだということがよくわかりますね。
脱帽です・・・。

羽生家のみなさん、これからもがんばってください。
心から応援しています。