羽生結弦の家族がテレビに出ないわけ

嫁・旦那・家族

羽生結弦選手は、ソチ・平昌オリンピック2連覇という偉業を成し遂げたすごさはもちろん、けがを克服して大舞台で活躍できる強い精神力やインタビューでのしっかりした受け答えでも定評がありますよね。

そこで誰もが気になるのがご家族はどんな風にして羽生結弦選手を育てたのかということ。
あれだけ有名になれば、ご家族もテレビに出てもよいと思うんですが、メディアの露出がほとんどありません。

一体どんなご家族なんでしょうか?
そして、なぜご家族はテレビに出演されないのでしょうか?

その辺のところをまとめてみました。

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【羽生結弦の家族:①母の由美さん】

羽生結弦選手はご両親と4歳年上の姉の4人家族です。

その中で比較的テレビで馴染みがあるのが母親の由美さん。
年齢は公表されていませんが、羽生結弦選手やお姉さんの年齢からすると50~60歳くらいではないでしょうか。

羽生結弦選手の家族はもともと宮城県仙台市出身。
喘息持ちだった羽生結弦選手がスケートを始めたのは4歳の頃。
姉のスケート教室について行ったのがきっかけでした。
お母さんの由美さんは、ホコリを吸い込むことが少ないスケートが羽生選手の喘息を治すのに良いと考えたからだそうです。

しかし、フィギュアスケートはお金がかかるスポーツ。
そのため、羽生結弦選手が子どもの頃、由美さんは近くのダイエーの紳士服売り場やクリーニング店でパートも掛け持ちしていました。

2012年まで羽生結弦選手の衣装を手作りしていたこともよく知られていますね。
あのスパンコールもお母さんの手によるものらしいですよ。
主婦業に、パートに、衣装作りに、とてもお忙しかったでしょうね。

今は、2012年からカナダのトロントで羽生結弦選手と一緒に暮らし、栄養管理など健康面のサポートをしています。
何でも、栄養学も勉強し、カナダの肉中心の料理が合わなかった羽生選手の食事や栄養の管理をしているそうです。

また、移住したばかりの頃、英語が喋れなかった羽生選手に対して、
『スケートだけを学ぶのではなく、ここで生活をしていくつもりで頑張りなさい』
と言ったとか。

とてもしっかりした方のようです。

「しっかりした」と言えば、一時期、お母さんが羽生結弦選手に「恋愛禁止令を出した」とか、20歳になるまで携帯やスマホも持たせなかったというエピソードもあります。

なんか、「星一徹」みたいな話ですが、そんなお母さんに対して羽生結弦選手はたびたび次のようなコメントをしています。

『いつもそばで、スケートに集中できる環境を整えてくれる心強い存在』
『いちばん多く一緒にいて、何でも言える存在』
『母には思ったことを素直に言える』

そこから、羽生選手はマザコンか?という噂がありますが、いまでこそ、世界的に注目を集めるアスリートですが、幼いころから身体的・精神的なサポートをしてくれるお母さんに率直に感謝を表しているだけで、「孝行息子」だという見方もできます。

平昌オリンピックで金メダルを獲ったとき、羽生結弦選手が一番最初にメダルをかけたのはお母さんだったそうです。

それだけ深く感謝しているんでしょうね。

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【羽生結弦の家族:②父の羽生秀利さん】

羽生結弦選手のお父さんは秀利(ひでとし)さんといいます。

宮城県の中学校で数学の教師を務めた後、2014年に2014年に宮城県石巻市立湊中学校と利府町立しらかし台中学校で教頭先生になりました。
現在は、塩竈市立第三中学校の校長先生をなさっているそうです。

ですから、収入は大学卒の一般的なサラリーマンよりは多少良い程度で、特別裕福な家庭で育ったということではなさそうです。

お母さんも積極的にメディアに出る方ではありませんが、お父さんもお母さん以上に控え目な方でほとんどテレビには出ません。

お父さんもスケートをなさっていたのかと思いきや、実は大の野球好き。
「広島カープ」ファンで、野球部の顧問もなさっていたこともあるとか。
その影響でしょうか、羽生結弦選手も野球は好きで、やはり、カープファンらしいですね。

かつて、羽生結弦選手が小学生の頃、スケートの練習がつらくて嫌になっていたとき、
「スケートが嫌なら辞めてもいいんだぞ」といったそうです。
また、「もっとスケートの練習しろ」などとは一切言わず、逆に「頑張っているな」と暖かく見守るスタンスをだったようで、毎日の練習場への送り迎えはお父さんの担当だったんだとか。

オリンピック前になると、羽生結弦選手は現地時間に合わせるために昼夜逆転の生活を送っていたそうですが、そんな時でもお父さんが送り迎えをしていたようです。

意識していたのかいないのかはわかりませんが、お父さんとお母さんがいい具合に役割分担していた感じです。

お父さんは、スケートに関しては口出しをしなかったものの、教師をしていたこともあってか教育に関してはしっかりしたお考えがあり、
常々、「フィギュアだけでなく、勉強もしなければダメだ」「一流の選手である前に、一流の社会人になってほしい」と言っていたそうです。

実際、羽生結弦選手はあれだけの練習をしながら、学校の成績も良かったといいます。

2014年の『24時間テレビ』で、羽生結弦選手がお父さんが勤めていた石巻市の湊中学校に電撃訪問をしたことがあります。
湊中学校は、東北大地震の時、津波に襲われ4人の生徒さんが亡くなりました。

また、ソチオリンピックの時には、羽生結弦選手に寄せ書きを送ったりもしていました。

羽生結弦選手の突然の来校に、生徒たちはびっくり。
喜びと興奮ではしゃぐ生徒たちに羽生結弦選手は丁寧に応対し、震災で心が傷ついた生徒たちを励ましました。

しかし、この時もお父さんがテレビに映ることはありませんでした。
お母さんがどこかのインタビューで、「頑張っているのは結弦であって親ではない」という趣旨の発言をされていましたが、ご夫婦でそのスタンスを貫いているようです。

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【羽生結弦の家族:②姉の羽生さやさん】

羽生結弦選手には、4つ上のお姉さんがいます。
1990年生まれのさやさんです。

フィギュアスケートを始めたのはさやさんの方が先で8歳の時。
羽生結弦選手は、お姉さんの練習についていったのがきっかけで4歳でスケートを始めました。

さやさんが18歳のとき、スケートでご両親にかかる金銭的負担を配慮して、スケートをあきらめました。
「ゆづがスケートを辞めるくらいなら、私が辞める」と言って身を引いたといいます。

10年続けてきたスケートを辞めるのはつらかったでしょう。
弟思いの優しいお姉さんですね。

現在は、羽生姉弟がスケートの練習をした「アイスリンク仙台」の職員として働いているそうです。

こうやって見てくると、家族みんなで羽生結弦選手えおサポートしてきたことが分ります。
それと同時に、単にサポートとしてきただけでなく家族のお一人お一人が自立して、しっかりとした考えのもと生きてこられたんだということがよくわかりますね。
脱帽です・・・。

羽生家のみなさん、これからもがんばってください。
心から応援しています。

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